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ドラゴンボールつまらないの件は作品の面白さの感じ方よりも、作品に対する向き合い方の問題だと思った話

あんまりこういう炎上商法の片棒を担ぎたくないので、リンクは貼らないのですが「ドラゴンボールを読んでみてもつまらない」という、ここ最近話題になった記事についてちょっとだけ語ってみようと思います。

 

記事の内容はこんな感じ

・先輩に「ドラゴンボールを読んでないなんて!」と言われ、本人はハラスメントだと言っている

・読んでないのに反論するのもあれなので全部漫画喫茶で読んでみた。

・つまらなかったし、絵もストーリーもどこかで読んだような古臭い感じがした。今の漫画のほうがおもしろい

 

 

筆者の私の前提はこんな感じ

・そこそこの漫画好き

ドラゴンボールは好きなところもあるし、ちょっと…というところもある

 

という感じです。というわけで色々書いてみる。

 

まず、この記事に対するtwittewの反応に関して。

 

・そもそもハラスメントをする先輩が悪い

というものがありました。

これに関しては難しいところではありますが、先輩が『クリエーターとして』と前置いているのですごく微妙です。後にも述べますが、ドラゴンボールはいろんな意味で商業的にも、作品としても漫画という媒体の一つの転換点になるタイトルでした。「おもしろいもの」を作る気があるのなら、正直現代でもめちゃくちゃ勉強になります。読んでないけど、とりあえずどうせ面白くないんだろうから、批判的にやんでやろう、という態度はもしこの記事を書いた方がバイトさんでないなら少しプロ意識に欠けるのでは、と思います。先輩がそこまで考えて発言したかは知る由もありませんが。

 

A.記事の感想。

次に肝心の記事の内容について。

正直な感想ですが全体的に

 

               スッゲー浅い

 

それ会社の記事として書いてるんだよな…えぇ……みたいな。

例えば、僕の友人であまりドラゴンボールが得意でないヤツに言わせると

 

「初期からフリーザ編くらいまでは悟空の怒りはクリリンが殺されたときに爆発していたし、敵と戦う最終的な理由も仲間を生き返らせるため、仲間の仇を討つ、個人的な正義だった。ところが魔人ブウ編あたりから、ブウを倒すことが先決でそのためには一般人は犠牲になってもドラゴンボールで生き返るからいい、という実にビジネスライクな正義を悟空が振りかざすようになってきた。いわゆるFateのエミヤさん状態で、それを見せられるとすごく冷めてしまった。わくわく感が正直なくなったように感じた」

 

好きか嫌いかは置いておいて、まあ一理あるな、なんて私なんかは思ってしまうのですがどうでしょう。とにかくそういう意味であの記事が薄っぺらく感じてしまう。

何より、好きか嫌いか、面白いか面白くないかの軸を抜きに過去の名作に対するリスペクトがかけらもないことにクリエーターとしてどうなんだそれ、という若干の疑問。

漫画喫茶で読みました、はなかなか斬新な…

 

B.ドラゴンボールは「ありきたり」なのか?

記事を書かれた方は1992年生まれってことで、ここも確かに微妙なんですが、そこは記事を会社から出すという立場で書くならちゃんと勉強してほしかったような気もしました。ドラゴンボールという作品は編集者の鳥嶋和彦さんという方の功績も大変大きく、この方の考え方が現代では賛否両論はあれ、漫画業界のビジネス形態・コマーシャルに多大な影響を与えています。トーナメント形式を浸透させたのもドラゴンボールと言われています。

詳しくはこのあたりの記事の4p、5pあたりなんかを読むとよくわかります。

二次展開からアンケートの取り方など数多くのことに取り組んできたのがわかります。

news.denfaminicogamer.jp以下引用です。努力をなぜ悟空にさせなかったかという話。

 

鳥嶋氏:
 だから、『ドラゴンボール』では「努力」はさせなかったんですよ。「修行しました」とは言うよ、でもあくまでも結果で見せていく。だって、「滝に打たれて修行する」とか、そんなバカな話が現実には意味ないことくらい、そりゃ今の子供は知ってるよ。そういうリアリティは普通に生きていれば、この情報時代に絶対にキャッチするからね。

――確かに、そうですね。

鳥嶋氏:
 そういう子供が敏感に感じ取れてしまうところで嘘をついたら、おしまいなんです。
 だから、『ドラゴンボール』でも戦闘シーンは、徹底的にアクションを本格的につくったんだよね。逆に子供にそういう部分で「本当だ!」と思わせちゃえば、あとはもうどんな嘘でも受け入れてくれる。

 

鳥嶋氏:
 子供は本当に正直なんだよ。例えば、大人は「子供はどうせ世の中の理不尽さなんて知らないだろう」と思ってしまいがちじゃない。大間違いだね。

 だって、そんなのは学校のクラスを見渡せば分かることだよ。一番モテるのは、結局は頭が良いやつ、テストができるやつだよ。先生からも同級生からも一目置かれるよね。で、次はスポーツができるやつでしょ。カッコいいよね、運動会のヒーローだ。そして顔が良ければ、女の子にもモテる。
 じゃあさ、その全てがない子はどうしたらいいの? 「努力」なんかじゃどうにもならない現実があることくらい、子供は小さい頃からイヤというほど知ってるよ。

 もちろん、漫画というメディアは、そういう子供たちを励ますものとして発展してきたんですよ。でも、そのときに「滝に打たれて修行すれば強くなれます!」みたいなうさん臭い「努力」の物語なんかじゃ、そんな子供たちを励ますことはできない。子供をナメちゃいけないんです。

 

引用終わり。

 

こんな感じ。リアリティとフィクションのはざまでものすごくバランスを取りながら作られているのがわかる。その基礎に対するリスペクトを残念ながら本当に全く感じることができませんでした。

 

C.鳥山明の絵は『どこかで見た古臭い絵』なのか?

ドラゴンボールで言えばスクリーントーンが貼ってあるコマ数を見てほしい。おそらくONEPIECEより更に少ないと思います。あの少なさで、立体感を出し、オリジナリティを出し…という恐ろしい作業を10年近く連載していた方というのはもう天才と呼ぶしかないのではないのか、と思います。もちろん、技術の世界は日進月歩ですが。

 

などいろいろ書いてみましたが、全体的に残念な記事だったな、という感想でした。

それはドラゴンボールつまんないとかありえない!という話ではなく、売れたコンテンツに対する向き合い方の問題のような気がしています。

 

山下達郎さんというミュージシャンの方が過去おっしゃていましたが「自分史の反映としての芸事への評価」要するに「自身が経験したものとの比較評価」でしか物事を測れないとどうしても、自分史が優先になります。人に勧められてしぶしぶ読んだのなら猶更です。そこそこお若いのに古い価値観しか受け入れられない「昔はよかった」とほとんど変わらない気がしました。取材もろくにせず、ああいった記事を名前を出して書くのは少し残念だな、という感想が正直なところです。