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運ゲーかもしれない

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ということで上の記事を読んでみた。

私も同じ北海道出身ということもあって、非常に的を射ているという感想を持った。

 

私が中高生だったのは10年以上前だが、いろいろ思い出してきたので、備忘録をかねて、当時の北海道のヤバさ(ひょっとしたら今も?)をちょっと伝えようと思う。

 

私は父親が転勤族だった関係で北海道内を転々としていたが、幸い(?)中学高校時に北海道の最大都市・札幌にいたこともあって、筆者の方ほど過酷な環境ではなかったというのが正直なところ。

筆者の方は釧路出身ということで、釧路で暮らしたことはないが、大体想像はつく。

そんななか、文中で「想像力が奪われている」という表現には納得がいく点が非常に多かった。

 

まず自分の中高時代の認識を思い出すと

「そもそも中高一貫校の存在を知らない」

「私立は公立高校(国立大)のすべり止め」

「県を越えた通学という概念がない」

「大学の存在を意識するのは高2くらいから」

 

といった具合。おそらく北海道の中高生の90%くらいはこんな感じではなかろーかと思う。

 

これは北海道が「田舎」ということももちろんあるが、それに加えて本州と地続きではない(車で移動できない)というのが非常に大きい。九州と違って北海道は、単一県が他県と接することなく孤立しているため、今となってはびっくりするが、このご時世において、マジで他県の情報が入ってこねーのである。

 

「自分で調べればいい」ってのはそりゃごもっともだが、最大都市・札幌ですら「北海道大学ばんざーい」みたいな志向がないわけでもないので『本州の大学に行く』という発想がそもそも持ちにくい。いわんや他地区をやという状況なのであった。

 

 

私が、東京の大学に行こうと思ったのも、たまたま父の転勤の関係で1年間東京で暮らすことがあったからであって、もしそれがなかったら、「北海道大学に頑張っていく」で満足していた節は否定できない。まずもって運ゲーである。

 

冒頭の筆者の方もおっしゃっているが、ここで「運ゲー」といっているのは、家庭内の貧富の差や、勉強環境以前の問題。

 

あくまで私の認識だが「本州の大学へ行こう!」という発想が持てるかどうか(あるいはそれを実現するまでの時間的余裕がある段階で発想できるかどうか)がそもそも「運ゲー」という、とんでもねー場所が北海道なのである。さらに言えば、本州の大学に行くノウハウは道内にほとんどない。絶望である。

 

と、こんな話をすると「北海道にだっていい大学はあるのだから、わざわざ無理して本州の大学に出る必要はないのではないか」という反論が必ずと言ってよいほどあるが、

問題は大学だけではないのである。

 

美術館・博物館・科学館・動物園といった文化的な施設で一定規模を有するものは札幌・旭川・函館・帯広くらいにしかない。ちなみにそれぞれの都市は150kmずつ位離れている。

 

大手予備校に関しても札幌くらいにしかない(ので旭川や帯広の浪人生はわざわざ札幌へ来る)。

 

一方、東京では電車で1時間も移動すればなにかしらそういった施設にたどり着くことができる。場合によっては新幹線を使えば2時間で大阪から東京くらいの距離は移動可能だ。

 

この差は22歳までに絶望的なまでに開く。少なくとも大学入学時点で、周りの本州周辺の同級生の文化的成熟度・学問への探求態度に対する、驚きと羨望の入り混じった感情は今でもはっきり覚えている。

 

こんな具合に、とにかく北海道民情報弱者になりやすい傾向にある。これは地理的条件などからどうしてもそうならざるを得ない。それを打破するのはほとんど運という理不尽感も残る。

 

だから色々反感を買うかもしれないが、私はあえてこう言いたい。

「東京に生まれたあなたはとても運が良くて、私はとてもうらやましい。だから、そんな人たちが『どうせなら頭が悪く生まれたかった』『できない人は一体どうやって人生を過ごしてきたんだ』なんて言わないでほしい。人生を悲観しないでほしい。きっとそれは田舎に対する想像力の欠如だから」