国民皆保険を見直すと本当に菅総理は言ったのか?
久々で恐縮ですが結構今回は頭にきています。
「菅総理が国民皆保険を見直すと言っている!やっぱりこいつはダメだ!!」
tweetは何千RTもされ、賛同者が次々と集まります。
私も当然びっくりしました。
国民皆保険無くなったら困る人いっぱい出るやん!!どうすんねん!!!
で、元ソースを探す旅に出ました。一番現実に近いのはハフポストさんのこの記事。
以下核心部分の引用です。神保氏は質問者の方です。
神保氏:日本は人口あたりの病床数は世界一多い国ですよね。感染者数はアメリカの100分の1くらい(編註:実際には75分の1程度)。それが医療が逼迫して、緊急事態を迎えているという状況の総理の説明が、単に医療の体制が違う…ということで、果たしていいのでしょうか。体制を作っているのは政治じゃないですか。政治が法制度を変えれば、変えられるじゃないでしょうか。そこで質問です。もうすぐ国会が始まりますが、たとえば医療法によって病床の転換を病院にお願いするしかない状況ですが、医療法の改正は政府のアジェンダに入ってないのでしょうか。同じく感染症法の改正。これも、コロナが当初どういう病気か分かんない状態で(結核やSARSと同じく)2類感染症相当になっている。非常に軽症者でも厳重に扱わなくてはいけない。その2つの法律を改正されるおつもりがあるのかお伺いします。
菅首相:コロナ感染者の医療について、政府として対応している医療機関に対してしっかり支援をさせていただいたりですね。あるいは保健所への人員の派遣。そうした態勢をつくったり、クラスターが発生すると政府のチームがそこに行って対応するなど、そうしたことを政府は行ってきました。医療機関でありますけど、日本には今の法律がある中で、逼迫状況にならないように、ベッドは数多くありますから、それぞれの民間病院に一定程度出してほしいとか働き掛けをずっと行ってきたのも事実であります。感染症法については先ほど申し上げましたように、(必要であれば)法律改正を行うわけですから、医療法についても今のままでいいのかどうか。国民皆保険、そして多くの皆さんが診察を受けられる今の仕組みを続けて行く中で、今回のコロナがあって、そうしたことも含めて、もう一度検証していく必要はあると思っています。それによって必要であれば、改正するのは当然のことだと思います。
ここで、神保氏が前提としている背景にはこちらの記事があると思われます。
ざっくり説明すると現在の医療法では『コロナのために病床を用意しろ』と民間の病院に指示・命令を下すことはできず、あくまでお願いベースになってしまうため、様々な事情から断る院も多く、日本全体の病床数の割にコロナに割ける病床数が少ない。一方、公立の病院には自治体の要請に強い強制力が働くため、そうした病院にコロナ患者が集中し、負担が重くなることで、医療崩壊を招くのではないか、という記事です。
この記事自体の妥当性については今回は議論しませんが、こうした背景を前提に神保氏は医療崩壊を防ぐために、医療法を改正して、政府がより広く病床確保できるようにする、もしくは現在の厳重なコロナの扱いを変え、広く医療施設で取り扱えるようにするべきではないか、と聞いているように見えます。
一方の菅首相ですが、お願いベースで民間医療施設にも頼んできた事実は政府としてあり、その上でこの状況が続くようだと,そうした医療法、感染症法の改正は検討しなければならないと言っているわけです。
確かに『国民皆保険』というワードが出てきますが、この文脈にそって考えれば『誰でも平等に診察を受けることの出来る日本の医療制度や国民皆保険を続ける前提の中で、医療崩壊が起これば、トリアージなども考えられる。そんな中、コロナにどう対応するか、検討しなければならない』と言っていると見るのがよいかな、と。
こんな深刻化する前に、先に検討しとかなかったんかい、とか思わないでもないですが、とにかく、国民皆保険を無くす議論はされていないと見るのが妥当かと考えます。
さて、そう考えた時に、国民皆保険が無くなるかも!と騒ぐのはあまりに拙速だと、個人的には思いますがどうでしょうか。
最近本当にうんざりしているのですが、多くの人が物事やニュースを見たいようにしか見ませんし、なんなら、見たいものしか見ないとすら言えます。
これは思い切り、情報は探さなきゃ見つからない、ネット社会の弊害だと個人的には思っています。
さらに輪をかけてうんざりするのは、一部の悪意の塊の方々は、菅首相がチョンボする(日本が悪い方向に行く)のを今か今かと待ち構え
実際に起こればそれ見たことか、と騒ぎたてるわけです。
これは悪いことが起こるのを期待する最悪のムーブだと思っていますが、実際そういう方が非常に多く正直うんざりしています。
そもそも、自粛しろと言われてんのに、箱根に応援に来るわ、初詣に来るわ、クリスマスは都市街ごった返すわ、と正直国民側にも相当問題あるのも実情です。
政府の対応が遅いからこうなった、政府のコロナに対する理解が低いからこうなった、確かにそういう部分も多いにあると思いますが、だからと言って、批判のために見切り発車で騒ぎ立て、無駄な扇動する大義名分にはなり得ません。
批判されうることはきちんと批判する必要がありますが、何でも批判すればいいと言うような世界線に少し疲れてきています。
2020年にもなって今さらWHITE ALBUM2をプレイした話~その1~
本当に何を今さら、という感じも否めませんが、WHITE ALBUM2を5月18日からプレイしていました。ゲームの初出が2010年なのでなんと、10年の時を超えている。ちょっとびっくり。
きっかけは、なんとなく物語に飢えていて、かつ緊急事態宣言もそろそろ明け、出社が始まりそうということで、それより先にどっぷり物語に浸かれるうえに少なくとも全部クリアするのに5日はかかる読み物をしたかったというところが大きいかもしれません。
で、どうせなら、まだやってない名作!ってことで、シナリオ 名作 ゲームとかぐぐって、たどり着いたのがWHITE ALBUM2。
曰く「10年に一度の傑作」
曰く「ノベルゲームの到達点」
曰く「ターゲットがオタクにも関わらず痛々しいほど人間をリアルに描き出したドラマ」
こんなん言われたらちょっと心動かされるじゃないですか。いやいや、言うて、どう頑張ってもいわゆる恋愛ノベルゲーでしょ?「Fate」的な殺し愛みたいな要素もないし「ランスシリーズ」のゲーム性も無いんだからまさかそんな……。とか思ってたんです。
本当に申し訳ない。そんなこと考えていた私が愚かでした。
確かにノベルゲー史上すっ飛ばして、自分が触れたあらゆる媒体の物語の中でも稀にみる傑作でした。
5/26に完全クリア。
クリアまでの推定プレイ時間50時間ほどだと思いますが、読み進めれば読み進めるほど打ちのめされました。そして全てを読み終わった後の喪失感とやるせなさが本当にひどい。クリア後半日くらい、ゲームの世界から帰ってこられませんでした。
これを『エロゲだから』と言って敬遠するのがマジでもったいなく、あまねく人類にオススメしたいのですが、あまりに物語に血が通いすぎていて、精神状態が良好な時にやらないと、あっちの世界から帰ってこられなくなる危険性があり、安易にオススメもしにくいというのが正直な感想。
というわけで前置きが長くなりましたが、本日はWHITE ALBUM2の感想その1。
その1では各章に行く前に、全体的な物語としての感想をつらつらと書いていきたいと思います。
ネタバレもあるので未プレイの人はここで回れ右が無難だと思います。プレイしたくなった18歳未満の良い子はコンシューマー版でどうぞ。
1・春希は本当にクズか?
良くも悪くも、春希の行動がこの物語のカギを握っていたことは間違いありません。本当に自分が好きだったかずさからの好意に気づかず、ズルズルと雪菜の好意を受け入れてしまうのがそもそもの悪夢の始まりではあるので。ただ、時たまコメントなどで見る春希はクズ、という感想には肯首出来ないなあというのも本音です。
だって、脈が全くなさそうな(春希視点)本命と、めっちゃ美人でめっちゃ器量よしの高嶺の花がめっちゃ好意寄せてくれた時に、断れるかって言われたらかなり怪しい気がするんですよね。春希的には雪菜のことも気になる女の子だから。
なので『真正のクズ』というよりも、何事にも誠実にいようとして、誰からも嫌われないようにして、それでも心の中では一番好きなのはかずさ、という状況と本人の生来の気質が本当に悪いほう悪いほうに進んでしまった物語だとは思うんですよ。
ICで本作を春希が行動して終わらすためには、雪菜を振ってしまうか、かずさをにべものなく見捨てるかのどっちかだったかな、と。
でも春希の思考回路的には、かずさを選ぶことは雪菜と付き合っていたにもかかわらず「一番はかずさだった」と認めることになり『雪菜にもかずさにも不誠実』。一方「かずさを見捨てれば」自分の気持ちに嘘をついたまま雪菜と付き合っていくことになり、それはそれで『雪菜にもかずさにも不誠実』という。
誠実になれない自分が嫌で、相手を傷つけることにも臆病で、その結果どっちにもいい顔をしてどちらも傷つけて、さらに動けなくなっていく。
いやこの期に及んで誠実もクソもないやろって話でもあるんですが、でも学生なら仕方がないかな、という思いもちょっとあったりします。社会人パートでもそれが5年間分の積み重ねなのかもしれないなあ、と少しだけ春希の気持ちがわかるので、春希に対しては同情的です。
ただ、面白いな、というかこれは作者の方の本当に上手なところだと思うんですが、春希の傷つけ方のプロセスが雪菜とかずさで全然違うんですよね。
『雪菜を傷つける』時は、春希の「かずさが一番好き」という本能的な部分が根源にあって、「雪菜のことは好きだけど一番好きなのはかずさ」。それを行動として雪菜に見せてしまう。大好きな人の一番になれないのに、優しさや責任感で付き合われている感覚。これ雪菜にとってはものすごい屈辱なような気がします。
一方で『かずさを傷つける』時は「雪菜に対して(人として)悪い」という春希の倫理的観念が根源にあるんですよね。ありていに言えば「かずさのことが一番好きだけど、その考え方は雪菜に悪いからお前とは付き合えない」みたいなことをかずさに言ってしまうくせに、行動はすごく思わせぶり。かずさにしてみたらお前はじゃあなんなんだよ、と。
二つを見比べると、春希の一番はやっぱりかずさなんですよ。誠実でいたい、というのが春希の願いなんですけど、じゃあだからって言って、例えばかずさに暖かい家族がいて、友達もいてという状況だったら雪菜に取った態度を取るのかって言われると絶対そんなことないんだと思うんです。やっぱりかずさを優先してしまうんですよね。
春希が卑怯だな、と思うのはその気持ちを全面に押し出さずに5年近く雪菜と相対してしまったことかな。しかも、社会人パートでは「かずさがこんなにもひとりぼっちで、俺しかいないんだ」ということを途中まで免罪符にするんですよね。「だから春希という人間はかずさを見捨てることが出来ないのだ」と。だから仕方ないだろ?と。そういう意味ではちょっとダメな人間ではあるんですが、それは必ずしも優柔不断なクズではないと思っています。
2・とにかくテキストに血が通いすぎている
と、まずは春希はただのクズではない!という謎の弁解から始まりましたが、この物語で本当に特筆すべきなのは主人公・春希の地の文章から各キャラクターの言葉まで、全てにおいて「こいつならこう考えるだろうな」と思える必然性と、心の揺れ動きを伝える絶妙なワードセンテンスが光っている感じがしました。
なんとなくありそうなセリフや行動を書くだけだとこうは絶対なりません。とにかく一言一行動すべて考え抜かれている感じがします。それを自然になんの作為も気づかせずに展開させてしまうのは作者の方のたぐいまれな文章センスとしか言いようがないと思います。
例えばcodaで春希がかずさのコンサートに行かず、大阪の雪菜の元へ向かって行ってしまうシーン。これはかずさに心が向いてしまうのを「倫理的に」避けようとした、と考えることもできますが(これでもそのために雪菜に会いに行ってるからそこそこひどい)、「コンサートをが終わったらおしまい、だから見に来てくれ」というかずさの言葉がその前にあると考えると「かずさとの関係をおしまいにしたくなかった」→「倫理的にも会わないほうがいいからちょうどいい」というさらに重い別の本心も見えてくる気がします。雪菜もそれに気づいているから、春希の心をより自分のもとに引き留めるために、乱暴に抱かれている、とも言えます。
一方、そんな駆け引きなんか知ったこっちゃない(出来ない)、かずさにしてみれば、またも「自分のことが好きだったはずの男が、今の彼女の元に行って自分を傷つける。そこまでするのか?」となってしまう。
この一連の流れが、IC・CCと散々3人の心情を積み重ねたことで、なんの違和感もなく受け止められてしまうのは、作者の力量以外の何物でもないと思うんですよね。
別にこのシーンだけでなく、全てがそういう風に意味のあるシーンになっている。よほどキャラクターを愛していないとこうはならないと思います。
とまあ今日はざっくりとした感想を書くつもりだったのでここまで。次回からIC・CC個別ルート・codaと順に感想を書きたいと思います。
岩井俊二監督 処女作 「Love letter」を見た話
岩井俊二の「Love letter」を見ました。
1995年公開、中山美穂主演のラブストーリーです。
価格:5,280円 |
あらすじはこんな感じ。
婚約者・藤井樹を二年前に亡くした渡辺博子(中山美穂)は、その三回忌の帰りに、彼の母親に誘われ、彼の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。忘れられない樹への思いを吐き出すため、そのアルバムに載っていた、樹が昔住んでいたという小樽の住所へ手紙を出した。すると数日後、なぜか返事の手紙が。その手紙の主は、同姓同名のクラスメート、女性の『藤井 樹(中山 美穂のダブルロール)』。やがて博子と樹の奇妙な文通が始まる。
婚約者と同姓同名の女性と文通をするという発想がすごく良かったこと、渡辺博子と藤井樹、両役とも中山美穂にすることで、視聴者を妙な気分にさせるというのは面白かったです。
ただ、冒頭が博子が雪山で寝転んでいるところから始まっていたこと、婚約者を山の遭難で亡くすという悲劇的なバックグラウンドを持っていたことから、博子に感情移入して見ていたのですが、結局女性の『藤井樹』の読後感がとっても良くて、博子の読後感はそれほど…という、感じに収まっていました。まあエンタメ映画を狙って作ったわけではなさそうなので、さもありなんという感じではありますが。
博子と樹にわけて内容を整理しようと思います。
博子:樹(女性)とのやり取りと、卒業アルバムの写真を見ることで、自分が樹と似ていることに気づき、婚約者の樹の初恋の相手は文通相手・同姓同名の樹で、その面影のあった自分と付き合ったのだと感じ始めます(物語の最終盤で実際そうだったということが判明するのですが)。婚約者に悪気があったわけではないと思いますが、女性としては最悪の気分かもしれません。私はそいつの代わりかい!みたいな。うーん…婚約者殺されても文句言えない。死んでるんだけど。
結局、博子は樹(女性)から送られてきた手紙を樹にすべて返却します。なんというか、あの人の思い出はあなただけのもの、というある種の諦めに近い感情を感じてしまうのですが、それが死別した婚約者というのがすごく悲しい。一応最終的に救い的な描写はあるんですけど、これ本当に救いなのか?という疑問が拭えないまま、終了。
樹(女性):文通を通して、彼との中学時代のエピソードを思い出し、中学時代の樹(男性)に自分が恋心を抱いていたことを次第に自覚していくストーリーラインです。最終的に両思いだったことがわかり、そこでエンドロールに入るのですが、その甘酸っぱさたるや、甘酸っぱすぎてため息つくこと請け合い。とにかくカメラワークと光源の使い方、そして小樽の美しい景色が混ざり合って、せつなーい、甘酸っぱーい気持ちになります。
現実にありそうでないんだよ…こんな夢みたいな物語…みたいな気分にはなりますが、オタク的にはこういう初恋いいですねー…って感じです。
樹サイドだけで物語が構成されてたら、素直によい読後感で終わったと思います。そのくらい完成度も、映像美もすごい。とても前世紀に作られたとは思えない。
でも樹の裏側には博子がいるんですよね。本来的には対比したときの落差に味わいを感じるものなのかもしれないんですけど、さすがに悪趣味すぎねーかとも思ってしまうんですが、まあそういう作風の人なんだろうな岩井監督…(wikiで他の作品一覧眺めながら)。
とか何とか言いながら、全体的には見る価値ありのいい作品だと思います。何より映像美が本当にすごい。ノスタルジックな感情に浸りたいときにおすすめの作品だと思います。
FGO 5章 オリュンポス終了後の感想の話
FGO5章後半終わりました。
5章前半が激アツだったのに比べて、正直いいところと悪いところがはっきり分かれた章だなと思っています。というわけで粛々と感想を書いていく。
※今回はネタバレを大幅に含みます。
終わってない人は回れ右!
ちょっとなーと思った点
全体的に5章後半で『やらなきゃいけないこと』が膨大すぎて、消化不良、ないし設定資料集みたいになっちゃったのかな、と。シナリオ、ストーリーラインはとても面白いし、なるほどなって感じにはなっているんですけど、とにかく、展開が忙しい。
最たるものはゼウス→カオス→武蔵消失のくだりだと思っていて、ゼウス倒したぞ!→カオス登場!大変だ!→武蔵ならなんとかできる!って、なんでカオス出てくんねん、カオス結局お前なんやねん、武蔵は結局生身なのかサーヴァントなのかはっきりしてくれ!みたいな、幾重もの疑問点が積み重なり、没入できないままキリシュタリア戦に突入という。
多分あらすじ(ストーリーライン)設計してる人と実際のライターさんが違うことで起こってるとは思うんですが、設計者のカオスや武蔵の設定をライターさんがうまく消化できないまま書いちゃったのかなー、と思っています。
っていうか、そこをそんなに雑に処理するなら、ブラックバレルの描写を二回目、三回目もっと省いてもよかったのでは?とかいろいろ考えてしまう(というか、ゼウス戦くらい外しちゃうとかそういうのもなく、ひたすら善戦してブラックバレルで倒すみたいな3回の天丼がFGOらしくないといえばらしくないのですが)
デメテルの娘の描写も、機神の娘ってどういうこっちゃ?(艦隊に娘とか息子・兄弟の概念ってあるんかいな)とか、そもそも人間形態の必要全然ないだろ、とか物語に没入しづらい要素を解決してくれないまま、どんどん話が進んでしまうのがかなり辛かったと言えば辛かったです。
ロムルスの扱いも相当で散々苦労して大召喚陣敷いて、ゼウス(噛ませの中ボス)倒して(しかも固定サポートのわりに性能微妙)即見せ場もあるようでないまま退場ってひどくないか?と。あれだけ前半でこいつが来れば大丈夫、みたいな期待値上げといて、キリシュタリア戦の時にはもういない、みたいな。
2部が1部と決定的に違う点(というか違わなきゃいけない点)は、1部が『主人公がなんとか前に進んで物事を解決する』を基礎においているとしたら、同じことを2部でやる意味ってあんまりなくて、『敵役の心情や背景をよりうまく描く』をしないと二番煎じになってしまうところだと思っています。その意味では1~5章前半は(賛否あれど)すごくうまくいっていたのですが、オリュンポス周りは、分量の割にキリシュタリアとカイニス以外ほとんどおまけみたいになっているのがつらい。感情移入も何もないまま何となく出てきた12神を倒す、みたいなFGOらしくないストーリーになっていて、初めから終わりまでずっと首をかしげながら進める結果になりました。
そのうえ、あれだけ感動的だった前半のサーヴァントの別れなどに一切触れることなく(マンドリカルドとか名前すら出てこない)、淡々と武蔵とホームズと会話して進んでいくというサイコパス事案が発生していて、1部でドクターをあんなに思ってたマスターならせめてなんか言うたやろ!みたいなちょっと残念な気持ちにもなりました。
全体的に1部4章と構造が似ていて(あの時もすげー叩かれてましたけど)いやなんであんな批判あった構造を一番盛り上がるギリシャ編でやっちゃうの…みたいな不安をすごく感じる章になってしまいました…。アトランティスがよかっただけになおさら。
良かった点
キリシュタリアの素の部分や過去、カイニスの心の変化は綺麗に描かれていてさすがだな、と。戦闘でも、キリシュタリアのパッシブスキルの名前が1部の舞台名を冠していたりと、憎い演出も多数。この辺はさすが。
あと、各効果、演出はよかった。逆にこれに頼りすぎて文章おざなりになってるから諸刃の剣感もすごいあるんですが。
とりあえず、ざっくりと以上です。
ストーリーはかなり動いた感じがしたので、今後に期待。
これからゆっくり2週目やって、細かいところの感想もアップできたらと思います。
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コロナウイルスと買占めの話
コロナウイルス、大変なことになってますね。
土日外出自粛ということで、足りない食材やら買いにスーパーとか行ってました。
何件かまわってみて、東日本大震災の時も買占めは起こってたんですが、その時とちょこっと様子が違うので覚書程度に記録しておこうと思います。あくまで自分の家の近くの話なので、それは心にとどめておいてください。
①水は買い占められていない
ガス・水道・電気のインフラが止まる心配はないため、水の買占めが今回は起こっていません。むしろコーラやビールといった嗜好品が売り切れている感じです。外出禁止になったらそういうものがストレスを和らげてくれるor買いに行けないからかもしれません。
②食料品はまちまち
食料品は売り切れが起こる商品と起こらない商品がはっきりわかれていました。
冷凍食品・カップ麺・カット野菜・鳥、豚・もやし・麺類・牛乳はかなりはけている印象でした。
一方で、野菜そのまま・フルーツ・和牛・辛みが強いもの・調味料・油などはまだそこそこ残っていました。
納豆など少し前に話題になったものも売れ残っていました。少しづつデマも解除されて行ってるのかもしれません。
ここから、普段料理をしない方々がいつもより買いに来てるのではないかと予想しています。普段なら、その日の食事だけを買ってる人が何日か分まとめて買っちゃってる印象です。
カップ麺などは、保存食と考えられなくもないですが、カット野菜とかそのあたりお手軽商品から先に売り切れていたので、そんな予想を立てています。
③日用品はちょっと回復傾向?
ティッシュはお値段高いやつなら結構売れ残り始めてました。
トイレットペーパーはまちまち。昼間とかだとありそうな雰囲気です。
マスク・アルコールジェルは全滅。これはまだ仕方ない感じもしますが。
全体として東日本時と比べて、なんでもかんでもなくなる!というよりは割と安いものからなくなり、高いものは売れ残る程度の買占め、という感じでした。
東日本の時は、ガソリンスタンドからポリタンクすらなくなる大惨事でしたので幾分かマシかもしれません。
いずれにせよ、売り切れるから慌てて買いにいかなくちゃ!って感じではないです。
報道の過熱ぶりがちょっと怖いですが、慌てず必要な分だけ買えば全然大丈夫な感じがします。
流通業に感謝!!
めっちゃ売れ残ってたのでぺたり。
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『100日後に死ぬワニ』の電通プロモ炎上を考察した話
『100日後に死ぬワニ』が100日目を終えました。ただ、物語の当日にいろいろ炎上したらしく、今回はその話について思ったことを書いていこうと思います。
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そもそも『100日後に死ぬワニ』とは
昨年12月1日、漫画家のきくちゆうきさんがTwitter上で4コマ漫画を投稿。4コマの内容はワニくん(名前がないので便宜上ワニくんとします)がテレビを見て大爆笑しているだけ。しかし、ある種異様なのは、最後のコマの下に手書き文字で「死まであと99日」と書かれている、というものです。
Twitter上は騒然。『日常を大切にしなければならない気になった』『いつ死ぬかわからないから一生懸命生きよう』などはっとするコメントも多数。RT数、いいね数もともに1万を軽く超え、いたるところで話題に上りました。
きくちさんは『一日目』を皮切りに毎日休むことなく、午後7時にワニくんの日常4コマを投稿。一日目と同様に最後のコマの下には、ワニくんの死までの日数が書かれ徐々にカウントダウンされていきます。
『100日後に死ぬワニ』の神構成
『100日後に死ぬワニ』の個人的に感じた演出上の重要・は大きく分けて以下の二つです。
①主人公のワニには名前がなく、本当に平凡なキャラクターである
②100日間毎日書き続け、ショートカットをしない
一つずつ順にみていきます。
①主人公のワニには名前がなく、本当に平凡なキャラクターである
ワニくんには名前がありません。そして少し優しくて、心は臆病で、恋をして、デートに誘うのもドキドキし、嫌なことがあれば機嫌が悪くなり、友達がいて、ラーメンが好きで、バイトをしている、ゲームが好きな普通の青年として描かれます。
このキャラクターは絶妙です。読者がどんな人間であれ(実際はそうでなくとも)『あれは自分に似たキャラクターだ』『あれは俺の友達に似たやつがいる』と思わせるのには十分『普通』なのです。特にすごい能力もなく、聖人君子でもなく、悪人でもなく、淡々と日々をすごす私たちそのものなのです。こんなキャラクターを見たとき、ワニくんに対して渡したたちには『共感』が生まれ『自己を反映』させます。一方で、私たち読者に与えられている情報は、その「わたしたちの分身」が100日後に死ぬことだけです。100日後ではないかもしれませんが、私たちも生物である以上、いずれ死にます。『自分もいつか死ぬ』。現実感を伴わなくともその事実が突き付けられる瞬間は、この物語を追っている時(特にワニくんが幸せな時)、強烈に意識させられます。主人公を身近に感じさせつつ、読者の感情を上下に揺さぶる非常に有効なテクニックになっています。
②100日間毎日書き続け、ショートカットをしない
これはTwitter上で主に漫画家の方々が『100日休むことなく書き続ける精神力がすごい』と絶賛されていましたが、ここではちょっと意味合いが違います。100日書き続けるのは演出として必要だと思いました。
描きたいことを必要最低限の日数で終わらせるなら、もっと短縮できます。ワニくんの恋と友達とのふれあい、ワニくんの趣味に絞れば、おそらく30日くらいで済んだと思いますし、
実際に中盤で(ワニくんの恋話ではないところで)一時期RT数が伸び悩んだ時期があります。これは明らかに読者に飽きが来ています。一方で、この飽きや100日だらだら続けるというのが実は演出上、ものすごく意味のあることではないか、というのが私見です。
作者のきくちさんはほぼ毎日、午後7時に漫画を投稿していました。これは言い方を変えれば『毎日午後7時になれば、その日のワニくんの様子が見られる』ということです。100日、毎日少し親近感が沸くキャラクターを見続けることで、私たちはワニくんをすごくよく知っている人物としてとらえ始めます。土日関係なく100日会うということは4月に入社した新入社員と8月くらいまで会っているくらいの日数感です。これによってワニくんが持つ元々のキャラクター性にくわえ、読者側にワニくんへの親近感をさらに持たせることに成功。4コマに深みが出ているように思われます。
『100日後に死ぬワニ』のプロモーションはなぜ炎上したか
物語の演出・構成で抜群のセンスを発揮した『100日後に死ぬワニ』。
ところがここにきて、炎上案件となっています。広告代理店の雄、電通が絡んでおり、相次ぐ宣伝やキャンペーン・映画化や書籍化・いきものがかり を迎えたPVなどが次々投下。一部ファンからは結局金だったのか、なんか白けた、と散々な言われようです。なぜこうなってしまったのか、個人的には作者というよりもプロモーション側の大チョンボのような気がしますが、言語化してみようと思います。
①プロモーションのタイミングが最悪すぎて読者を白けさせた
これは完全にプロモーションサイドのミス(実は一概にミスと言い切ることもできないのですが)かと思います。上述したように、この物語のミソは『100日後に死ぬ』キャラクターが自分の分身や、友達と感じられるところにあります。『死の当日』、きくちさんはこの日だけ少し時間を遅らせて最終回を投下。ワニくんは桜の下で死んでしまう綺麗なエンドをむかえました。
さて、想像してみてください。自分の友人や大切な人が死んでしまったとき(病院でも、不慮の事故でも構いません)。喪失感を抱え、言いようのない感情で言葉に詰まって、まだ心の整理がついていないその時です。突然、見知らぬ人たちがどかどかと皆さんの前に現れ、こういいます。
『彼が死んだことを記念して、彼の物語を映画化、キャラグッズ化します!』
本当に最悪です。っていうかサイコパスの所業です。地の底で反省してほしい。
それまできくちさんが、丹念に100日間かけて作り上げてきた「ワニくんへの共感」が大きいだけに、ワニくんの死の余韻をぶっ壊された読者は本当に胸糞だったと思います。
漫画・テレビ・アニメ・映画、視覚で楽しむ映像メディアは
『感情のメディア』
とも呼ばれます。要は視聴者・読者の感情に寄り添わなければ、なかなか良い評価は得られないということです。おそらくですが、この話は視聴覚メディアに携わる人間であれば、新卒から半年で、まず間違いなく先輩社員から叩き込まれます。
今回残念ながら電通さんは見えている地雷と言っても過言ではないレベルで、読者の感情を逆なでする最悪のキャンペーンに出てしまったと言わざるを得ません。
②『言わぬが華』を思いきり壊してしまったPV
『100日後に死ぬワニ』の良かった点の一つとして、毎回最後のコマ下の『死まであと〇日』の文字以外にワニくんが死ぬ予兆が全く見えないことにあったと思います。
一方で読者の感想には『一日を無為に過ごさないようにしよう』とか『親と早く仲直りしなくちゃ』など生きることに対する、ポジティブな感想が目立ちました。
でも、きくちさんはインタビューでそういった発言をしていることはあっても、作中の中で押しつけがましく、生きることについて一切キャラクターに発言させませんでした。
それは日常を生きるワニくんたちにとって、そうした発言をさせることは不自然(=物語の完成度のアップ)だからかと思いますが、こうした不自然の排除があったからこそ『生きることの大切さの再認識』が読者の間で進んでいったのではないかとも思います。
ところが読んで感じてくれればそれで良かったことを、わざわざ説教くさくPVにして伝えることで何かすごくワニくんの物語が嘘くさくなってしまったように感じます。悪く言えば「ワニくんの人生が日常の中である日突然終わってしまった」から「ワニくんは感動説話のために作為的に殺されてしまった」へ印象が変わる危険性があるPVだと思いました。
ただ、こうしたメッセージ性は多くの物語に内包されていることも多いように思います。
比較対象として適切かはわかりませんが、こうしたメッセージを上手に伝えることに成功した直近の作品として、こちら新海誠監督『天気の子』を挙げようと思います。
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『天気の子』のメッセージは
「子どもが大人がなんとかすべき世界の問題の責任を取る必要はない」
ということかと思いますが、作中ではあくまでそこだけにスポットを当てるのではなく、主人公をめぐるボーイミーツガールが物語の主軸になっています。賛否両論ある作品ですが、物語自体の進行・メッセージ性・エンタメ(と監督の趣味)の両立という点ではめちゃくちゃバランスの取れた作品です。この機会にぜひ。
『100日後に死ぬワニ』のプロモーションについていろいろ思うこと
さて、それでは最後にプロモーション戦略として、めちゃくちゃミスった電通ですが、フォローできる点はないのかということを書こうと思います。テーマは以下二つ。
①他のプロモーションタイミングはなかったのか?
②一日目から電通はかかわっていた『ほぼステマ漫画』だったのか?
①ほかのプロモーションタイミングはなかったのか?
ここまでケチョンケチョンにプロモタイミングをdisってきましたが、じゃあどうすんのよという話をされると実は困ってしまうのも事実です。『100日目』は21日22時現在、 75.7万RT 214万いいねを記録しています。この最もバズっているタイミングでプロモーションするのは、商業的(論理的)には明らかに正解です。おそらくある程度反感を買うことは覚悟の上で、最も宣伝になるタイミングを選択したというのが本音だと思います。ただ、やるにしても全てのキャンペーンを同時に出すのはやりすぎなので、二つくらいに絞ったほうが反感が少なかった気もします。
再度宣言しますが、視聴覚メディアで論理を優先させると大概破綻するか数字が悪い結末に終わることが多いと思っているため、論理的に正しくても感情的には完全に悪手なのは間違いないかと思います。
②一日目から電通はかかわっていた『ほぼステマ漫画』だったのか?
これはおそらく違うのではないかと思います。あくまで推測ですが、早くて10日目くらいで便乗企画として立ち上がった可能性が高いのではないでしょうか。1日目から企画として存在したと仮定して、どんな企画書を書けばいいのか私にはさっぱりわかりません(もしかしたら超有能な方が企画書を作ったのかもしれませんが)。「100日後にワニが死ぬ漫画を、Twitterに挙げればバズるので、100日目に合わせてグッズ展開しましょう」って正直通す側としては泥船すぎます。それよりも、こんな作品がTwitterにあがっているのだがものすごい数のRTが付いていて、絶対キャンペーンとして成功します、の方が筋が通っている気がしますが、あくまで推測です。
さいごになりますが、『100日後に死ぬワニ』、大変すばらしい作品だと思っています。
だからこそプロモが本当に余計なことをしたという思いが捨てられません。何度も言いますが、視聴覚メディアは感情のメディアです。プロモーションされる第三者におかれましては、データ数値ばかりに囚われず、情緒にも目を配って頂けると作者、読者みんなが幸せになれるかと思います。
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偏差値30の俺が東大に受かった時の勉強法の話~化学編~
もう受かって10年以上経つので、何を今さら、とか、過去の栄光から逃れられない人とか言われるかもしれないけど、このノウハウ腐らせておくのももったいないってことで、各教科小出しに文章にしていこうかなと思います。
とりあえず筆者現役当時のスペック。
・高校3年11月時、センター模試 化学15点
・モル計算が基本的にできない
・無機は無勉
……これはひどい。よく東大受けようと思ったな!死ね!みたいな感じですが、これでも一年あればなんとかなります。
で、そこから一浪時の成績
・センター試験満点
・東大模試で偏差値65
とかそんな感じになりました。
我ながら結構すごい飛躍を遂げたんじゃないでしょうか。ただ、そんな特別なことをしたわけでもないので、基本的には誰でも一年あればこうなれるんちゃうかと思います。
やることはめちゃくちゃシンプル。三冊の本と一つのことを完璧にやればいいです。
①とにかく教科書を読む
②教科書傍用問題集(できれば教科書と同じ出版社)を解く
③実戦 化学重要問題集を解く
④単位計算のコツを覚える
本当にこれだけ。これだけでどんな大学の合格点も取れるはずです。
それでは順に解説していきます。
①とにかく教科書を読む
文字通りです。とにかくまずは教科書読んでください。
我々できない族は、とにかく問題を解こうとします。でも、これまったく意味ないです。
原理原則がわからないのに問題解いても、応用が全く聞ききません。
ルール全く知らずにバスケットやろうとしても、ダブルドリブルとかトラベリングの嵐になる感じです。
もう一つ。読む際にここは面倒だからいいや、とかここは出にくい箇所だからとかそういうのはナシ。
隅から隅までとにかく全部覚えて理解する。できない族の傾向として『出そうなとこだけやる』っていうのがあって、出なさそうなところは一切やらないみたいなところがあるので、我慢して全部やってください。
これも理由があって、案外化学って単元ごとにつながっていて、一単元やると、ほかの単元の理解力や問題解決力がグンとあがります。
それと読むといっても、ただなんとなく眺めるのはNG。教科書に書いてある内容なら、何を聞かれても答えられるようにしてください。
これを極めると、最終的にどうなるかというと、頭の中に映像として教科書が浮かび上がり、イメージでページをめくって頭の中で参照できるようになります。
個人的なお勧めは第一学習社さん。かなり網羅的でわかりやすい教科書です。
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②教科書傍用問題集を解く
で、①である程度まとまった単元まで読み込んだら、次は教科書傍用の問題集を解いてください。ここの注意事項は二つ。
a.完璧になるまでほかの問題集に手は出さないでください。どうせやっても難易度高すぎて出来ないか、教科書傍用と同じレベルです。意味ないです。基本的に発想として自分は化学がそんなに得意ではないという発想で取り組むことが重要です。
b.できた問題には赤で、できなかった問題には青で、その問題の下に日付を入れてください。
解いた問題は解答集の解説を熟読してください。できなかった問題は少なくとも、つけた日付から1週間間を置いて再度解く。それでも間違ったら、再度青で日付を入れてください。この方法ですべての問題に赤の日付が付くまで繰り返す、これだけです。
③実戦 化学重要問題集を解く
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②が終わったところで、いよいよ実践編です。こちら数研出版から出ている『実戦 化学重要問題集』を解きます。こちらは、35年続いている化学の老舗問題集です。基礎的な問題から応用的な問題まで、実際の受験問題数百問を単元別に収録しています。解説がやや不親切という評判もありますが、ぶっちゃけ②まできちんとやっておけば、解説に文句出ないはずです。
やり方は②と全く同じ。できた問題には赤で、できなかった問題には青で日付を入れて出来なかった問題を繰り返す解く。これだけです。
この①~③を完璧に仕上げた結果、化学に関しては特別な対策は一切いりませんでした。
これが終わったらあとは過去問やればいいと思います。
④単位計算のコツを覚える
これは番外編ですが、めちゃくちゃ重要な話。
巷では、掛け算の順番とかくだらねーことが言われていますが、それよりもっと重要なのが単位にまつわるあれこれです。すべての単位計算につながる話なのでぜひ目を通してください。
いきなりモル濃度とかやると、我々できない族は混乱するので、小学生のころにやった、時速で話をすすめましょう。
時速といえば
単位は 『km/時間』 単位の意味は 『一時間あたり 何km進む』ってやつです。
で、できない族の人はあまり意識してないと思うんですが、
km/時間 の 『/』 ←これは何でしょう?
ぶっちゃけるとこれは『分数の棒』と同じって覚えておけばいいです
どういうことか解説するために それでは、問題。
時速3kmで 5時間歩きました。何km進んだでしょう。
これは簡単、 3(km/時間)× 5(時間) =15km です。
式を日本語にするなら、一時間当たり3km歩けるなら5時間歩いたら15kmってことです。
なんでこんな問題出したかというと、単位に注目してほしいんです。 数字を抜いて、単位だけを取り出すと
(km/時間) × (時間) = km です。
つまり何が言いたいかというと、単位で約分や割り算が出来るってことです。
例えばもう一個問題。
5時間で15km歩きました。時速を求めなさい。
時速の単位は km/時間 =km ÷ 時間 です。なので時速を求めたければそのまんま kmを時間で割ればおしまいです。
というわけで 15÷5=3ですね。
これは、化学の計算問題にも応用できます。モル濃度(mol/l)を求めたければ、
molをl(溶液量)で割ればいいし、 molを求めたければ mol/l と l(溶液量)で掛け算すれば終わりです。
我々、できない族はこういう発想がないので、元々よくない記憶力リソースをすべての問題の解法をいちいち暗記することに使い、ゲロ吐きそうになるんですが、単位計算のコツさえ掴んで、求めるべき数値の単位を落ち着いて把握すれば、暗記量は1/5くらいになります。いやマジで。
上記4つのことを守れば、大体化学の対策はおしまいです。
できない族だと自覚してる方は、だまされたと思ってやってみてくださいね。
現役の方でご相談ある方はコメント欄にコメントください。相談乗ります。
今日はおしまい。気が向いたら数学編とか英語編とかやります。