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言の葉の庭の話その2

というわけで、今回は言の葉の庭第二回。

まずは「位置関係」について。

物語の中で,縦と横の位置関係が如実に表れていて、それを考えながら見ると面白さ倍増だと思いますので、ご紹介。

 

まずは『縦』の位置関係について。

基本的にゆきの先生とタカオが会話をしているとき、多くのシーンでは二人の目線がほぼ同じ高さで一致しています。ところが、先生の家のシーンでのみ、この関係性が崩れていくのです。

 

はじめ、地べたに座って同じ目線で食事をとっていた二人ですが、タカオがゆきの先生に思いを告げると状況が一変します。ゆきの先生がタカオの思いに対して答える位置は「椅子に座って」です。これは自分が「一段上のステージにいる」ことを意識的に明示していると思われます(もちろん、その前に「ゆきの先生」と呼べ、と口に出しているのですが)。

 

そしてクライマックスの階段シーン。階段の『下』からタカオが「先生は嫌な人だった」と初めて年下らしく、階段の『上』にいる大人へ、思いが届かなった怒りをある種こどものようにぶつけているのです。階段の『上』にいるゆきの先生は、タカオの吐露に対して、階段を下って、再度同じ目線に立ち(ある種子供に戻って)、自身の思いを泣きながら吐き出します。

これ、階段じゃないと成り立たないシーンですし、だからこそその前段階として、ゆきの先生の家のシーンの直前にエレベーターが壊れている1カットが挿入され、これが重要な伏線になっている気がするのです。

 

つづいて『横』の位置関係について

これは新海監督自身もインタビューで述べていますが、御苑での会話シーンほぼすべてにおいて、ゆきの先生とタカオの間に柱や、木の枝などが挟み込んであります。心情的に何かしらの障害物があることを示しているようです。

その障害物が初めてなくなるのが、タカオが短歌の答えを述べるシーンです。なんかいい空気になりそうっていうのがすごくよくわかりますね。楽しい。、

 

特に「縦」の位置関係は、実際のキャラ設定と併せて考えると結構面白いと思います。

タカオは実際の高校生よりも、ずいぶん大人び、しっかりした人物です。そして出てくるセリフが「まるで世界の秘密そのものみたいに彼女は見える」「あの人にとって15の俺はただのガキだということ」要は、自分はまだまだ子供という意識がすごく強いんですよね。本来の高校生よりずっと大人なのに。

 

それと対応するように一方のゆきの先生のモノローグは「27歳の私は、15歳の頃の私より少しも賢くは無い 」。まあ現実世界ではゆきの先生のモノローグのほうが真理に近いっちゃ近いんですが、この物語内においては二人の精神年齢って実年齢差よりずっと近いんですよね。

 

しかも、たぶんゆきの先生が言う15歳って恐らくタカオを想定しているので、ゆきの先生にしたら余計に精神年齢が近い。(おそらく本人にしたらその精神年齢の近さがよりいっそうの「私って駄目だな…」を引き起こしそうですが。)

 

タカオはタカオでゆきの先生は途中まで「ずっとずっと大人のおねーさん」なのである種憧れを持ちながら同じ目線で話すことができることにある種のドキドキがあったんじゃないかなーとか思うわけです。

 

そうしたキャラ設定を見ながら、縦の位置関係に注目して作品を見るとものすごく味わい深さが増す気がします。ぜひぜひ。